2005年03月08日(火)

「あなたは私の助けでした。御翼の陰で、私は喜び歌います」(詩編63:7)


二人の人間が沈黙したまま一緒におれるというのは、かなりの信頼関係がそこにあるという事だ。そこまで親しくない間柄だと、沈黙は場が白け、居心地悪い。次々と話題が必要だ。夫婦間で、特に話さなくても安らぎがあり、自由であるのは、愛があるからだ。ダビデは息子の造反に会い、どんなに痛く苦しい状況であったろう。しかし、彼は神を賛美した。神を思い、神の臨在の中で憩い、心満たされたのだ。神に愛され、神を愛する事によって、どのような状況の中でも、喜びが与えられる。ダビデは御翼の陰で、喜び歌うと言った。私達も神を思い、御言葉を反すうし、思い巡らし、味わう。それはさながら天国だ。苦しみのさ中で、その御翼の陰が備えられている。
――――――――
どんな状況の中でも、祈りをとおし、御言葉をとおし、神様と交わる事ができる。力強い御手が私たちをしっかり支えて下さっている事を知る時、困難は、困難でなくなる。