2005年04月08日(金)

「天の御国は、自分のぶどう園で働く労務者を雇いに朝早く出かけた主人のようなものです」(マタイ20:1)



収穫時の大変な忙しさのぶどう園。主人は朝
早くから三時間おきに人を雇い入れた。最後
五時にも雇い、終了後、最初から雇った順番
に賃金を払えば何の問題も無かった。ところ
が最後の人から払った事で、最初の者の内側
が暴露された。普段は気づかなかった妬み、
怒り、冷淡、愛の無さ、自己中心があらわに
なった。早朝から賃金の約束がなされ安心し
て働けた恵みに気づかない。最後の者は一日
中不安と恐れ心配の中で仕事を待っていた。
平安の中で主人のために早くから主人と共に
働ける事は実は大きな恵み、しかし、それに
気づかなず怒り爆発した。私達の主に仕える
態度はどうだろう。義務で、「ねばならない」
だろうか。主はただただ恵み深いお方だ。
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この世で神様を知らず不安や焦りの中で生き
るより、平安の中で主と共に歩んで行ける事
は大きな喜びだ。少ししか働けない者が得だ
ろうか。