2005年10月09日(日) 「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい」(ガラテア6:1)
「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい」(ガラテア6:1)
人の欠点、問題は良くわかる。自分 の事ではないのでワンクッションおい て、冷静に見られるからだ。人の欠 点や問題点を指摘する事なら誰に でも出来る。しかし、神に喜ばれる 態度かどうかが問題だ。又、その動 機はどうかだ。問題点を見つけ、して やったりの快感や、優越感があるなら、 ふさわしくない。相手の反発を招き、 又、更に深く傷つけるだけだ。罪を指 摘する時は、相手への祈りを積み重 ねている必要がある。心に愛と痛み があるか。又、自分はどうか。自分が もしその立場に立てば、自分も同じ 過ちを犯していたかも知れない。愛と 痛みとへりくだりがある時、主が働か れて、その訓戒が相手のために用い られる。愛による動機とへりくだった 態度がある時初めて相手の心に届く。 ・・・・・・・・・・・・・ 欠点の指摘は、誰しも受けたくない。痛い から、拒否反応と反発が起こる。愛によっ て、へりくだって指摘される時にだけ、素直 に聞ける。御霊によらない限り、出来る事 ではない。逆に御霊に導かれているなら、 従おう。実が備えられている。