2005年12月09日(金) 「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」(ルカ16:20)
「まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした」(ルカ16:20)
あるカウンセラーによると子供が歪ん だり損なわれたりするのは教育に関心 なく放任の親より教育熱心な親に多い と。子供の将来のためにとお尻を叩き、 叱咤激励する。子供のためと思い込ん でいる。しかし、実は子供のためでな く自分のためなのだ。自分の体面と見 栄だ。子供を愛しているように見えて 、愛しているのは子供ではなく自分だ。 自分の思い通りに子供を操作して親は なかなか気づかない。子供のためと信 じ込んでいる。放蕩息子の父親は親を 裏切り、親を捨て放縦に身を委ね、身 を持ち崩す息子をただじっと見守った。 勝手にしろではなく、腕づくで帰らせ るのでもなく説教しに行くでもなく、 信じてただじっと待ち続けた。これが 愛、人を真に生かす愛。 --------------- 真面目で、いつも良い子で頑張って、 そうじゃなければ愛されない、 そんな愛で私達は神様から愛されて いるのではない。ありのままで愛し ていると言って下さる。感謝!