2006年03月09日(木)

「マリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばを聞き入っていた」(ルカ10:39)



デボーションが大切で、信仰生活
の生命線だと、誰しもよくわかっ
ている。よくわかっているのに、
実践がなかなか難しい。朝起きた
途端、すべき事が頭をグルグル巡
る。あれをしてこれを・・、余りに
忙しくて御言葉の時間が取れない。
ああ、時間があったならと嘆いて
いた人に、突然休暇が入った。
しかし、日頃の疲れのためゴロ寝
だ、行楽だと、結局休暇中もデボ
ーションが持てなかった。
余りのふがいなさに悲しみ、主を
仰いだ時、気づいた。時間の問題
ではなく、持とうとしない自分の
心の頑なさが問題であった。
その自分を正当化して、環境のせ
いにしていたのだ。自分の姿を認
め、悔い改めて、主に助けを求め
た。その後、どんなに忙しい中で
も、朝少しづつでも、主と交わっ
て始められるようになった。
主は助けて下さる。現状を認めて
求めよう。
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持てないのではなく持たない、だ。
忙しさはデボーションをもてない
言い訳にはならない。ひと言でも
みことばを聞いてから、一日をは
じめよう。