2006年04月08日(土)

「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現れるからである」Uコリント12:9


モーセは神から召しを受けた時「私はこと
ばの人ではない」としり込みした。しかし神
は、わたしが言うべき言葉を授けると保証さ
れた。モーセには出来ないが、神が共におら
れるなら何の問題もない。私たちも身体的弱
さ、能力不足、不得手な部分を持つ。神はそ
れを取り除かれず、そこにこそ神の力を現わ
されるのだ。世も肉もそれにはむかう。弱さ
を認めたくない。この世は能力主義の価値観
なので、弱さを認める事は、自分が否定され
てしまう事であり恐いのだ。拠って立つ所が
無くなってしまう。この世でクリスチャンが
弱さを誇って生きようとすると、世の人は、
自分の内にある弱さがあらわにされるため、
決して見たいものではないため、敵対や攻
撃を経験する。プライドが認めない。神の力
が現れるのは、自分の弱さを徹底して認めた
時だけだ。自らの弱さを認める事が大きな
祝福への道だ。あなたの妨げはプライドだ
ろうか。
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出来ないところに神の力が現れる。しかし、
出来ない事を心底認める必要がある。プラ
イドは認めたくない。認める事は心砕かれ
る事だ。弱さを認め砕かれたところにだけ
神の力が現れる。