2006年06月07日(水) 「彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」Uコリント3:15
「彼らの心にはおおいが掛かっているのです。しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」Uコリント3:15
すでに主の十字架によって、おおいは取り除か れている。いつでも主のもとへ行ける。しかし、 自分がおおいを掛けている。思いが古いまま で、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れている。 私達のおおいとは、まず自分中心に物事を考 える事だ。生活のあらゆる面に浸透している。 自分の思いが強く、自分の願望、自分がどう こうして欲しいばかりで、では、神はどう思われ、 どうされたいのか、神視点の発想が欠落して いる。すべてが自分のためなのだ。だから、おお いとなって神が見えない。状況と自分しか見え ず行き詰まってしまう。そんな自分が様々な事 を通して砕かれて行く。根深い自己中心、不 信仰に気づかされ、悔い改める。心砕かれ、 悔い改める時、心にかかっているおおいが除か れる。その時、神が見える。おおいをかけた まま、心を閉じていないだろうか。心を、その憎 しみや妬み、苦しみのかせから解き放ち自由 にして下さる。「主の御霊のあるところに自由が あります」。主に向くなら取り除かれる。主に 向きを変えよう。 ・・・・・・・・ 砕かれる度に、おおいが除かれ、主がはっきりと 見えた。古い人が出てくる度に、おおいとなる。 いつも古い人がよみがえって来るので、その度に、 主に向いて、妨げているものを取り除いて頂こう。