2006年08月09日(水) 「あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました」詩編40:6
「あなたは、いけにえや穀物のささげ物をお喜びにはなりませんでした。あなたは私の耳を開いてくださいました」詩編40:6
いけにえが形だけのものに、なってしまう 事がある。牛をちゃんと献げたのだから良 し、すべき事はしたの態度だ。こちらサイ ドではすべき事をしたのだから、祈りが答 えられてしかるべき、答えられないのは、 神の方が間違っている、になってしまう。 今の私達も一つ間違うと、献げるべきもの を献げ、するべき事をしたのだから、神は 私の願いを聞くべき、願いが聞かれないの は納得が行かないの、態度になってしまう。 神との関係が、対等の商売上の取引関係だ。 決してそうではない。神とは取引でなく信 頼関係だ。神にすべてをお委ねして、神が 良いお方であり、最善をして下さる事を信 じて行く関係だ。あなたの態度はどうだろ う。そして、神が喜ばれるのは開かれた耳、 聞こうとする耳だ。御心を聞いて従おうと する心だ。礼拝に出ているが、身体だけ、 形だけ、御言葉を物理的に聞いているが、 実は決して心の耳では聞いていない。耳が ふさがっている。それなら、神にありのま ま、聞く耳がありませんと向き合おう。神 こそが、耳を開いて下さるお方だ。正直に 向かう時、必ず応えて下さり耳が開かれる。 あなたへの神の御声が聞こえて来る。 ・・・・・・・・・・ 神とは取引関係ではない。それなら一タラント のしもべであり、神は恐い、常に要求する方で、 落ち度がないか、いつも怯えた信仰生活だ。神観、 間違っていないか御霊様に照らされよう。