2007年02月05日(月)

「あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木からとって私にくれたので、食べたのです」創世記3:12

              
   




よく欠点を挙げながら、「ど
うせ私なんて」という人がい
る。しかし、正面から自分の
欠点を認めているのではない。
もし、周囲から「その通りで
すね」など言われようものな
ら、恐ろしい反撃が返って来
る。自分で言っているのに、
人から言われると腹を立てる。
これは実際のところ、自分が
悪いなどと全然思っていない。
そうではなく、自分を認めて
くれない、周囲が悪いと思っ
ている。欠点はすべての人に
ある。しかし、成長して行く
人と、心を屈折させてますま
す歪めて行く人に分かれる。
その違いは、真っ直ぐにその
欠点を認めるかどうかだ。
そこから大きく違って来る。
私達は皆、失敗するものだ。
間違いを犯してしまう。その
時に「それをしたのは、私で
す」が一番神の喜ばれる態度
だ。アダムはエバに、エバは
蛇に、責任転嫁して行った。
罪の性質は、人を責め、環境
を責め、決して自らの罪を認
める事はない。悪いのはすべ
て人のせい、環境のせいだ。
責任を取るとは、自らの罪を
認め悔い改める事だ。そこで
神の赦しと癒しを経験する。
アダムが「私が悪かった」と
言えば、エバも「いいえ、私
の方が悪かった」と言ったに
違いない。
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人はだれもが罪を犯す。神様
の御心の中を歩んで行くため
には、しっかり罪を認めなけ
ればならない。そうでなけれ
ば、成長もなければ次の一歩
も踏み出せない。