2007年03月07日(水)

「神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せて下さった」創世記3:21

罪を犯したアダムとエバは、主の御顔を避
け木の間に隠れた。神を恐れ、神を避けた。
神に受け入れてもらえないと思うからだ。
神から身を隠すとは、神を拒否する事だ。
関係を持ちたくないという事だ。人は罪を
犯すと恐れが生じ、神と人から隠れようと
する。誰しも経験があるだろう。しかし、
神は違う。どこにいるのかと、御声をかけ
られ、どこまでも、私達を求めて下さる。
私達には、なかなかわからないが、神の愛
は変わらない。罪を犯す前も、罪を犯してい
る時も、罪を犯した後も、神の愛は全く変
わらない。変わらずに愛して下さっている。
そして、罪の解決も備えて下さった。皮の
衣を着せて下さったのだ。動物の血が流さ
れた皮の衣だ。それで恥と恐れをおおって
下さった。主イエスの十字架であり、流さ
れた罪の無い血潮が、私達の罪をおおう。
罪を犯した恥、恐れ、痛みがあるだろうか。
罪意識が臨んでいるか。心に血の注ぎを受
けたので、全き信仰をもって、恐れなく、
真心から神に近づく事ができる。赦しを受
け取ろう。主の血潮はそのために流されて
いる。血潮におおわれ恐れと痛みが消える。
心に平安と喜びが来る。
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罪を犯すと、とがめが来る。恐れと不安で
神に愛されているなどと、とても思えない。
自分が神を拒んでいる。自分がどう感じるか
でなく御言葉に立とう。厳然と神はそこにお
られ愛し続けて下さっている。