2007年09月08日(土)

「人は、天から与えられるのでなければ、何も受けることはできません」ヨハネ3:27


主イエスが登場された事により、そち
らへ群衆の人気が移って行き、「みな
あの方のほうへ行きます」とヨハネの
弟子達は自分の師の人気が落ちて来た
事に、嫉妬やいらだちや寂しさを感じ
ていた。しかし、ヨハネの態度は立派
だ。自分はキリストではないと明言し、
主が花婿であり、自分は花婿の友で、
花婿の声を聞いて喜んでいると。ヨハ
ネは喜びをもって主に仕えていたのだ。
真に主に仕える者は喜びに満たされる。
そして、ヨハネの謙遜は学ぶべき姿だ。
人との比較に生きる時、必ず妬みが
生じる。職場の同僚の昇進、学生間
の成績や人気、又、ライバルの成功
など、相手が優ると嫉妬する。肉のプラ
イドが傷つくのだ。人の成功は自分の
失敗のように感じ、人が誉められると
自分がけなされたように感じる。根に
ある高慢から来る。ヨハネは神を認め
て、へりくだった。人の栄誉も、賞賛も、
成功も、すべて神から来るものであり、
神の御手を認めたのだ。そして、自分
の欲望を満たす事、誇りを満足させる
事でなく、神の与えて下さるもので満
足した。不平も不満もなく満ち足りた
心だ。ここに平安がある。御霊に支配
された人は、自分が認められず、評価
されずとも、主の栄光が現されるなら、
それを喜ぶ。その人には、主ご自身か
らの溢れる喜びと、満ち足りた平安が
臨む。
・・・・・・・・・
「満ち足りる心を伴う敬虔こそ大きな
利益を受ける道」神が下さるもので
満足する時に満ち足りた平安がある。
比較から何も生じない。神を見、自分
を見る時、感謝しかない。