2007年10月09日(火)

「そのような勧めは、あなたがたを召してくださった方から出たものではありません。」ガラテヤ5:8



主に、御言葉に、従おうとする時に、
衝突して来るものがある。この世の
価値観や、習慣、考え方だ。一見妥
当に見える。今まで叱咤激励の価値
観で生きて来たので、自分の力で頑
張るのが良い事、善、美徳だ。今ま
でも真面目に生きて来たが、救われ
てまことの神に向き合うや、もっと
真面目に、更に忠実でなければと、
信仰生活とは厳しい修業のように思
う。苦しいが、しかし苦労は美徳、
苦しいのは当然、むしろ苦しいと安
心感があったりする。修業している
気になれる。特に日本人気質に合致
する。これら世の価値観から来てい
る。しかし、実は真理と正反対の方
向に向かっている。それは神から出
ていない。ここでは割礼の事で問題
となっている。ユダヤ人の慣習であ
る割礼を受け入れて、問題を起こさ
ないようにと。何かをする事によっ
て、神に、人に認められよう、受け
入れられようとする事は、もはや恵
みではない。キリストから離れ、恵
みから落ちてしまっている。信仰生
活は、神に受け入れてもらうための
苦しい修業でなく、すでに丸ごと受
け入れられ、100%の愛を受けている
ゆえに、喜んで、感謝して自由に神
に従って行くものだ。「ねばならな
い」義務ではいっさいなく、「愛に
よって働く信仰」愛が動機であり、
自発的な自由意志で仕えて行くもの
だ。そこには喜びと平安がある。
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どこまで行っても自分の考えを捨て
きれず肉で頑張り、肉を誉めてもら
いたい。そんなものは神様から出て
いないと言われる。やろうとしてい
る事は神様から出ているか、そうで
ないかをよく考えてみよう。