2008年01月09日(水)

「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます」マタイ19:26

主のもとに、富んだ青年が来た。永遠
のいのちを受けるために何をすればよ
いかと。主は十戒の戒めを教えられた。
しかし、十戒は守っていると答えた。
すると主は、持ち物を売り払い、貧し
い人に与えよと言われた。すると青年
は顔を曇らせ悲しんで、主のもとを去
った。十戒を守っていると言うが、守
れるはずがない。律法によって罪がわ
かるのであり、律法は私たちをキリス
トへ導くための養育係となるものだ。
又、もし彼が戒めを守っているなら、
「あなたの隣人をあなた自身のように
愛せよ」に従い、有り余る財産を、す
でに言われる前に貧しい人々に施して
いたはずだ。しかし、彼の財産は自分
の所有物であり、人に分け与える気は
無かった。分け与えるなら、又、神は
更に豊かに与えて下さったであろうに。
私達も手中に握り締めているものによ
って、主から離れてしまう。私達にと
っての富は、才能、仕事、愛する人、
名誉、地位、何か大切なものかも知れ
ない。青年は主から去るのではなく、
一つ出来る事があった。それは「私に
はできません」と主に助けを求める事
であった。人には出来ないが、神には
どんな事でも出来るのだから。握って
いるものがあるなら、放す事ができな
いと告白し、主に助けを求めよう。主
は必ず助けの手を延べて下さる。
・・・・・・・
「自分には出来ないと認める事」そし
て「主に助けを求める事」を、いつも
主は待っておられる。直ちに助けの手
を延べて下さる。主の前を去るのでな
くどこまでも主に向き、拠り頼もう。