2008年02月07日(木)

「祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります」マルコ11:24

              
 信じて祈る時、素晴らしい約束を与
えて下さっている。しかし、次に言葉
が続いている。「だれかに対して恨み
事があったら赦してやりなさい。そう
すれば、天におられるあなたがたの父
も、あなたがたの罪を赦してください
ます」赦す事を強調されている。赦さ
ない心は、祈りを大きく妨げる。神が
あなたを赦して下さったのだから、恨
み事のある相手を赦しなさい、と。私
たちは、しょっ中、失敗する者だ。し
かし神は豊かに赦し続けて下さってい
る。罪を犯さないのではなく、罪は犯
すが、赦されて生きている。それゆえ、
私たちも赦すべきだと。まず恨み事や、
憎しみや赦さない心があると、祈れな
くなってしまう。神と私たちの間に、
へだたりができてしまう。すると、確
信もった祈りができなくなる。ある人
が、切実な必要があり、神の御前に出
て祈っていた。しかし、祈り続けるが
与えられない。祈りの中で、ある人の
仕打ちに対し、恨みと敵意、苦々しい
思いを根に持ち続けている事を示され
た。これが祈りの妨げになっている事
がわかり、悔い改めて、赦した。その
後、見事に祈りの答えが与えられた。
赦さない心は、祈りを遮断してしまう。
祈りの答えを受け取るために、自らに
密かな恨み、赦さない心がないかどう
か、御霊に探って頂こう。妨げが取り
除かれる時、すでに受けたと信じる事
ができ、その通りの答えを得る。
・・・・・・・・・
苦い思いが心にあるなら、その都度、
神様に告白して赦されなけることだ。
何度でも赦されることが感謝だ。自分
勝手な思いばかりを神様に押し付けて
いないだろうか。