2008年03月09日(日)

「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです」ヤコブ1:14

ある人が自分の短気に悩んでいた。と
にかく、何かあると、すぐカッと来て
しまうのだ。そして、カッーと来ると
もう収まらない。怒りが込み上げる。
そばにいる家族に怒りをぶつけてしま
う。周囲に嫌な思いをさせ、害毒を流
してしまう。自分も暗たんたる気持ち
に落ち込み、常に反省するのだがどう
しても直らない。この事で助けを求め
て祈っていた時に、気づかされた。
「怒る事をやめられない」のでなく
「やめたくない」、「怒りをやめたく
ない」のでなく「怒りたい」のだと。
「怒り」の欲望に誘惑の餌が来た時に、
その欲望に同意している自分がいて、
すでに怒ろうとしている自分がいる。
欲望にサタンからの誘惑が来た時に、
その瞬間自分を引き渡している。ここ
が問題で、ここからいつも繰り返す同
じパタンに進んで行く。本当は怒りた
いのだ。私達のそれぞれの弱さ、誘惑
も同様だ。妬み、貪欲、裁き、思い煩
い、断ち切れない悪習慣・・誘惑が来た
時に、自分を引き渡す瞬間がある。罪
を好み、罪を愛し、罪を犯し続けたい
本当の自分の姿を認め、この瞬間に主
に助けを求めよう。自分の力で断ち切
る事は不可能だ。無力を認める時に、
主が助けの手を延べて下さる。自分で
何とかできると思い、何とかしている
限り、主は働けない。
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罪をやめたくない自分の本当の姿を見
る時、祈りが的を射る。自分をごまか
していると、祈りも的はずれになり、
同じ所の堂々巡りを繰り返すだけだ。
底の自分を認めて行こう。主が解放し
て下さる。