2008年07月08日(火)

『それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いやどうしても、私たちの上に王がいなくてはなりません」』Tサムエル8:19

イスラエルの民がサムエルに王を求
めた。サムエルは主に祈ると、主は
「民の声を聞き入れよ。それはあな
たを退けたのではなく、このわたし
を退けたのだから」と言われた。主
に示された通り、サムエルは民に厳
しく警告し、王の権利を告げた。自
分たちの王ゆえに、助けを求めても、
その日、主はあなた方に答えて下さ
らないと。しかし、民はサムエルの
言う事を聞こうとせず、どうしても
と王を求めた。その時主は、彼らの
言う事を聞き、一人の王を立てよと
サムエルに言われた。時々、自分の
肉の思いで、私たちが画策した事、
又、計画した事が成功するように見
える事がある。その時の間違いが、
これは神が認めて下さったと思って
しまう事だ。しかし、そうではない。
後になって、苦しい刈り取りをする
事になる。神が導かれたのではなく、
私たちが頑なな意志で、どうあって
も行くというので、神が許されたに
過ぎない。その結ぶ実が、苦い訓練
となって自分に返って来る。「あな
たがたは王を求めて、主のみこころ
を大いにそこなった」民は王によっ
て苦しめられ、懲らしめを受けた。
自分の都合の良い御心は、実は自己
中心なわがままだ。わがままな道を
行く時、懲らしめられる。そして、
その懲らしめこそが、神の深い愛で
あることを知る。
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神様は気付きを与えるために私達の
肉の思いを用いられる。うまく行く
ように見えてもその実の結果は明ら
かだ。懲らしめはもう一度立ち止ま
り神様に尋ね求めよとの導きだ。