2008年11月08日(土)

「神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた『あなたは、どこにいるのか』」創世記3:9


アダムとエバは、エデンの園で神の御言葉に立つのでなく、罪を選んでしまった。
罪を犯すと、まず神から隠れる。「主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠し
た」。

恐れが心に生じるからだ。神との親しい、何の妨げもない喜びと楽しみと平安の
交わりの中にいたのが、罪が神と人との間を遮断してしまい、恥と恐れで、交わ
りが失せた。

その時に、人が神を求めたのでなく、神が人に呼びかけられた「あなたはどこに
いるの か」と。自ら罪を選択し、神から離れた人間に神の方から呼びかけられ
た。これは一方的な恵みだ。

ところが、アダムの答えは、あの女のせいであり、エバの答えは蛇のせいであっ
た。罪を犯した人間は、自分を正当化し他に責任転嫁して行く。まさにこれが罪
の姿だ。罪とは原語で「的はずれ」だ。何か悪をするという事以前に、あるべき
場所にいない事だ。

アダムとエバは神と共におり、絶える事なき喜びと楽しみの中にいるはずだった。
それが神を離れてしまった。今、私たちはどうだろう。愛の御声をかけて下さっ
ている。

「あなたはどこにいるのか」と。裁くため、罪定めのためでなく、神は心配し心
にかけておられる。もし御心をそれていたなら、すぐに帰ろう。何の躊躇もせず
すぐに。今日この御声をしっかり聞こう。「あなたはどこにいるのか」
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今、どこにいるだろう。神を喜び楽しんでいるだろうか。神との間に距離がある
か。御心をそれて、とがめがあり、自分できれいになって帰ろうとしているか。
神は今呼びかけておられる。御声に応答しよう。