2025年08月07日(木)

「わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがた にわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、 世が与えるのとは違います」ヨハネ14:27




ある人が言った。「罪を犯してしまって、悔いて〃、主に悔い改め
て、赦していただいた。そして自分は主のために、お献げしたいと、
教会で自分にできる様々な奉仕を申し出た。しばらくして、動機が
違うと気づかされました。罪の赦しは、「それはそれ」になってい
て、「これはこれ」とばかりに、償いをするために、奉仕をしてい
る自分に気づきました。

主の赦しに、更に償いを加えて、赦してもらおうと、自分の行ない
を、プラスしている事になると。全く違う方向に向かってしまう、
大きな間違いに気づせられ感謝でした。主の十字架の血潮で、罪が
完全に赦されたことを見せられ、嬉しくて、嬉しくてならず、平安
が心に広がりました」別の人が「私も、大きな罪を犯してしまい、
悩み、苦しんでいました。

そんな中、教会に導かれ、神の愛、イエス・キリストの十字架の救
いを知り、主を信じました。罪が赦されたこと、どんなに〃嬉しか
ったか知れません。私は、何もできる事がなく、ただただ主にすが
るのみでした。赦された感謝でいっぱいで、あんなに苦しかったの
に、平安が臨みました。

その主の平安は、心の奥底にずっと与えられています。信仰人生、
試練は様々あって、苦しみも悲しみも通るのですが、底に平安が流
れているというか、あるんです」。主は、「人のすべての考えにま
さる神の平安」を与えて下さる。
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神の赦しは主の十字架のあがないによって完全で、何の交換条件も
いらない。主の赦しの中に安らぐことが出来る。何と感謝だろう。
救いの喜びのなかに留まっていたい。