2009年05月08日(金)

「それは、あなたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった」申命記8:2



人の内側は、言葉によって表われ出る。主は「心に満ちていることを口が話す」と言われた。
心にあるものは、必ず出て来る。人の語る言葉によって、霊的な状態を知ることができる。

しかし、通りいっぺんの付き合いでは、本音が出ることはまずない。長い時間を過ごすなら、あるいは出て来るかも知れない。
だいたいは、表向き、外側を意識して内側を隠し、人は言葉をコントロールしている。

普段は、一応礼儀正しく振る舞える。コントロールの範囲内だ。
しかし、試練の時に、人は必ず本音が表われ出る。圧迫が来た時、問題が来た時、繕いきれないので、その余裕がないので本音が出る。

本当の内にある姿だ。霊的状態もあらわになる。荒野で民は本性が現われ出た。主は私達の真の姿をご存じだが、自分自身が自分の本当の姿を知らない。

主は建前のきれい事でなく、その本音こそを受け止めて下さっている。試練の時に出る反応が自分の真の姿だ。どうであれ、そのまま主の御前に行こう。

あるがままを主に告げよう。自らの姿を認めて行く時、悔い改めが与えられ、新たにされる。
そして、あるがままを愛して下さっている主を真に知る。

自らの真の姿を認めて行かない限り、成長はない。
痛く辛いが、必ずそこに真の平安と喜び、自由が備えられている。
-------------------------------
自分の正体を一番知らないのが自分かもしれない。内にある罪、誘惑に弱い部分、握って離せないもの。試練と共にあらわになっていく事が必要だ。そこに主がいて下さる。荒野も感謝だ。