2009年07月09日(木)

「あの方は盛んになり私は衰えなければなりません」ヨハネ3:30



自分が軽んじられたり、無視される時、自分の思い通りにならない時、心にどんな思いが湧くだろう。自分が大活躍した地位を、人に明け渡さなければならない時、どうだろう。

ある青年はサークルのリーダーの立場を、体調悪く、別の人に代わってもらった。しばらくは重荷が取れて、むしろほっとしていた。が、その人が中心となり、自然と、皆の関心と人気がその人に移って行った。

その時、醜い嫉妬心が自分の心に湧き上がった。心が妬みで一杯になり、自分の罪に気づかされた。私たちもどうだろう。様々な状況や出来事の中で、試される。

信仰者でありながらも、自分が人に崇められたい、賞賛されたい思いは、根強くあるものだ。内側には根深い自己中心があり、自分が中心でなければ気が済まない。

人に勝ちたい、人の上に立ちたい、人の注目を浴びたい。自分が盛んになりたいのだ。
自己顕示、自己主張、自己実現・・しかし、主に盛んになって頂くためには、自分は衰えなければならない。これが唯一の道だ。砕かれなくてはならない。

目の前に起こる一つ一つを、そこに焦点を合わせ、自分が、強い自我が衰えるためと受け止めよう。へりくだる事は痛く、辛いが、何にも代えられない平安と、御霊の喜
びが心に満ちる。だから感謝できる。そして感謝して行く時、主が盛んになられる。それは何と喜びだろう。
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砕かれたくないものを握ったまま、主の十字架に預かっていく事が出来るだろうか。謙遜に主に従って行くことを妨げているのもを主に渡そう。主が、必ず補って余りある豊かな祝福で返してくださる事を信じよう。