2009年08月08日(土)

「そのやぎは、彼らすべての咎をその上に負って、不毛の地へ行く。彼はそのやぎを荒野に放つ」レビ16:22

贖罪のささげ物について書かれている。
アロンは自分の罪のためのいけにえとして雄牛をささげ、自分と家族のために贖
いをする。そして二頭のやぎを取り、一頭は主のため、一頭はアザゼルのためと
する。

主のためのやぎをささげ、罪のためのいけにえとする。自分と家族のために雄牛
をほふり、イスラエルのために先ほどのやぎをほふる。

そしてもう一頭の生きているやぎの頭に、アロンが両手を置き、民のすべてのと
がとそむきを、どんな罪であっても、全部それの上に告白し、これらをそのやぎ
の頭の上に置き、係の者の手でこれを荒野に放つ。

このやぎは、イスラエルのすべての罪を背負わされ、荒野に放たれる。水も食糧
も無い、気象条件も過酷な荒野で、やぎはどうなるのか。生き延びる事は到底不
可能で、やぎは衰え、死に絶えて行く。

とがと罪を背負わされたやぎは死に絶え、朽ちる。これは十字架の象徴だ。私た
ちの罪はこのような結末を迎える。主に告白した罪は朽ちる。十字架上で、ほふ
られ、いけにえとなられた主イエスが罪をすべて背負われた。

その罪は朽ちて、主の死と共に贖いが成し遂げられた。罪は死に絶え、主イエス
はよみがえられた。過去の罪をほじくり返すのは無意味だ。朽ちて、死に絶えた
のだから。感謝し、主を賛美しよう。

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イスラエルのすべての罪を背負わされ、荒野に放たれた山羊は、衰え、朽ちて死
に絶えた。主は私の罪を背負い十字架で死なれた。完璧に罪無しとされる、この
罪の赦しをじっくり考えてみよう。何という驚くべき恵み、感謝な事だろう。