2009年09月07日(月)

「しかし、真理を行なう者は、光のほうに来る」ヨハネ3:21



アルコール依存症の人は、このように言う。どこに行っても、飲酒の誘惑の無い所がない、テレビを見れば酒のCM、街を歩けば、店、又店、誘惑があるから止められないと。ギャンブル依存症の人も、ギャンブルが存在する事が悪いと言う。

環境が悪いのだと。しかし、同じ環境にいて、アルコール依存症にもギャンブル依存症にもならない人々が大勢いる。これは環境のせいでは無いという事だ。何の問題なのか。私達も形は様々だが、同様だ。止められない習慣を持っている。

しかし、その問題の底にあるものは、止められないのでなく、止めたくない自分がいる。そこを見て、認めない限り、問題の解決はない。人一倍思い煩い症の人もいるが、思い煩っていたいのだ。思い煩いがないと不安で、思い煩って安心する。思い煩い依存だ。

おかしな話だが、心の底を正直にみるとそうなのだ。
主はいつでも「よくなりたいか」と問うていて下さる。出来るかと問われない。「・・たいか」だ。本当に良くなりたいのだろうか。建前でなく本音はどうだろう。どっちでもいいのだろうか。

環境や人のせいにせず、自らの罪を認め、無力を認める時、主は癒しを与えて下さる。「私はアルコール依存です」と認める人が癒されて行くという。正直な姿に向き合い、認める事が、真理を行なう事であり、光のほうへ来る事だ。
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「よくならなければならない」と思っているところは沢山あるが、本当に主に「よくなりたい」と明け渡せてはいない。何に依存し、何から解放されたいのか、自分の本当の心の内をしっかり見つめてみよう。