2009年12月08日(火)

「イエスは、ご自分では、しようとしていることを知っておられたからである」ヨハネ6:6



男だけで五千人、女子供を入れると倍もいたかという大勢の人々を前にして、主はピリポを試された。空腹の人々に「食べる物がない、どうしようか」と。

ピリポはソロバンをはじき、計算した。答えは「ノー・不可能」だった。アンデレも、あるいは、主は何かして下さると思ったから、何か持っている人を探した。しかし、こんなに大勢に小さな弁当では、焼け石に水だ。だめだと思う。

大勢の群衆、食べ物が無い、手持ちも無い、このような状況で、主はすでに「しようとしている事」があられた。これは何と心強い事だろう。

あなたが今、このような状況なら、主はすでに方策を持っておられる。しようとする事があられる。私たちに方法ではなく、「信仰」を求めておられる。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません」主が喜ばれるのは信仰だ。

そして、「小さな」ものを用いて下さる。五つのパンと「小さい」魚を二匹だ。今、新しい歩みに招かれているか。新しい環境、仕事、奉仕・・自分は小さな者だと思うなら、主はその「小さな」者を用いられる。

「イエスはパンを取り、小さい魚も同じようにして」主の手に握られる時、大きな祝福として、主が用いられる。人々は満腹する。一番肝心な事は、その「小さな」ものが主の手にあるかどうかだ。 
------------------
主は、小さなものを用いて、何倍もの祝福に変える力を持っておられる。それを信じているかと問われている。よい思いつきであっても、それが心配事であってもそれを主の手に渡して安んじていよう。