2010年03月08日(月)

「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりしているのは、知恵のないことなのです」Uコリント10:12



この世は競争社会だ。能力があり、出来る事が良い事だ。就職試験で問われるのは、何が出来て、何の資格を持つかだ。つまり、どれだけ自分に価値があるかが重要で、能力、技術が問題になる。

そしてどこまでも人との競争なので、そこでの自分の力量や位置は、必ず、人との「比較」の中で量る事になる。人よりどこが勝るのか、絶えず人が基準だ。

つまりずっと無意識にも「比較」の中に身を置く事になる。この世はそうだ。だから、この世では、得る、増し加える事が重要だ。競争を勝ち抜くには、努力をし、技術を磨き、更に技術、資格獲得に熱心になり、自分に付加価値を付け続けなければならない。

私達も底にこの世の価値観が無いか。努力に努力を重ねて身に付けると、そこに肉の「誇り」が生じる。自分の力でするので、肉の誇りを培う。御霊の喜びではなく、優越感の喜びとなる。

これが問題だ。自分の力が強ければ、神のみわざも自分の力と勘違いする。表には出さないが、内心自分を更に誇って行く。主の世界は、丁度逆で、その「誇り」を捨てる事がいのちに至る。

「神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり・・十字架の死までも従われた」この世と逆だ。「それゆえ、神はキリストを高く上げて」。根深い世の価値観に、無意識に流されていないか。
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神様が必要ならその力も技術も与えて下さると頭では知っている。人に勝つため、人に優るために力を下さいとも祈らないのに、目の前の比較の中に流され頑張ってしまう。世の比較、誇りから今週も守られますように。