2010年04月07日(水)

「私は、自分の道を顧みて、あなたのさとしのほうへ私の足を向けました。私は急いで、ためらわずに、あなたの仰せを守りました」詩篇119:59・60



神に従うためには、御心に従おうとの意識的、選択が必要だ。オートマチックではない。没人格、没個性、没意志になるわけではない。夢遊病者のようになって、勝手に従って行けるのではない。

意識して、御霊の導きの方を選択し、御霊に拠り頼んで行かなくてはならない。主に拠り頼む必要がある。神が、勝手に私たちを操って従わされるのではない。それなら操り人形であり、ロボットだ。また、神が代わりに、私たちの意志を無視して、されることもない。

詩編記者は自分の道を顧みた。私たちはどうだろう。日々の生活を、自分自身を顧みることは大切だ。日々の忙しさに、流されてしまっているだろうか。主との交わりから遠ざかってしまっているか。何かの示しをなおざりにし、ないがしろにし、引き延ばし、ぐずぐずしているか。

記者は、主のさとしの方へ「足を向け」た。祈ったのでなく、実際に「行動した」。今、はっきりと、主の御心に、自分の足を向けるよう、具体的に従うように導かれているなら、実行しよう。

「急いで、ためらわずに」とあるように、ぐずぐずしていると、必ずできなくなってしまう。いつしか、御霊の促しが消えてしまう。大きな祝福を逃してしまう。今日、足を向けて、主の仰せを実行しよう。
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みこころに従わせまいと妨げに来る力があるので、ためらわず選び、主のさとしの方へ動いて行こう。一歩高みに歩ませて下さる導きての主を、私達が選択しなければならない。