2010年07月05日(月)

「神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい」ローマ12:2

                             
ある人が子供のために祈る時、いつも「神様に従順になるよう。悪い態度が改め
られるよう。ちゃんと勉強に励むよう」ああだ、こうだと祈っていて、ある時、
気づかされた。

子供に常に「ああなれ、こうなれ」と要求している自分、つまり「お前は、今の
ままではダメ。不十分だ」と言っている事だと。子供を変えよう、変えようとし
ている自分に気づかされた。

変わるべきは子供でなく、自分自身であった。自分が一番の問題児であった。心
から悔い改めて、いっさい家族への要求を止めて、家族に感謝する事を始めた。
妻を、子供を与えられ、幸せな家庭が与えられている事を、感謝し始めた。

そして、この家族を幸せにするために、自分は何ができるかを求めて祈り始めた。
すると、家の中の空気が、何もかもが一変した。暖かい雰囲気が溢れ、和やかに
なり、皆がリラックスできるようになった。

家庭がオアシスとされた。神の愛が家庭に臨んだ。人を変えようとする時、そこ
に裁きと批判と不満、トゲが存在し、そこには神の愛が失せる。しかし、感謝し
て行く時、そこに確かに潤いと温もりと喜びが流れる。

何か冷ややかなものがある時、苛立ちがある時、自らを振り返ってみよう。相手
を裁き、変えようとしていないか。変わるべきは、ただ自分だ。

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人を裁いたり、憎んだり、妬んだりする時、辛いのはただただ自分だ。平安と
喜びが全く無い。心が暗く辛く苦しい。自分が変わる時、その苦しみから解放さ
れる。愛して行く時、自分の心は、天にも上るような喜びで溢れる。