2010年08月07日(土)

「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません」ヘブル2:1




私たちは、ある日、突然に信仰から離れる事はない。少しづつ少しづつ流されて
いて、それに気づかない。気づいた時には、すでに大幅に逸脱してしまっている。

どうして流されてしまうのか。「聞いた事を、しっかり心に留めて」いないから
だと言っている。御言葉も、何度も何度も聞いて「頭」ではわかっているが、そ
れを「心」に留めていない。

漫然と漠然と信仰生活を送っている。物理的に耳に入れているが、心では聞いて
いない。右から左へと流れてしまう。道ばたに落ちた種のように心に根付かない
まま、サタンが御言葉を奪って行く。

そして、御言葉を聞いて、従わないなら、御言葉を流して捨てている事になる。
聞いた事をしっかり心に留める時に、御言葉を行って行ける。心に留めるなら、
流される事はない。御言葉を「一心に見つめて離れない人は」「事を実行する人
になる」。

又、心にひっかかる御言葉があるだろうか。聞きたくない、ふたをしておきたい
御言葉だ。御言葉は鏡となり心を映し出すので、それこそが問題点だ。薄々わか
っているからこそ聞きたくない。

なぜ拒否反応が起こるのかよく考えてみよう。自分の何に触れるのか。御霊が心
を探り、照らし出して下さる。神に向き合う時、自分の本当の姿が映し出される。
それを認めて行く時、御言葉により自分が変えられる。

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流される原因は、御言葉はいつもいつも聞いているが、物理的に聞いていて、心
で聞いていないからだと言われる。又、都合が悪いと無意識にも心から締め出す。
真剣に「今日、従うことは何ですか。お従いします」とのスタンスで聞いてみよ
う。