2011年05月07日(土)

「天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう」マタイ7:11

「神は何もしてくれない」と思っているだろうか。もしそうなら、それは私たち
が求めないからだと、御言葉は言う。「あなたがたのものにならないのは、あな
たがたが願わないからです」。神は求めに答えて下さるお方だ。「願え」と言わ
れている。「求めなさい。そうすれば与えられます」。

求めを喜ばれ、求めを待っておられる。私たちは求める必要がある。水道管に水
は満ちているが、蛇口をひねらなければ水は出ない。求める事は、蛇口をひねる
事だ。そして、求めて、与えられる時に、私たちは喜びが満ちるからだ。

しかし同時に、覚えるべき事は、神は私たちが求めたものを、その通りに与えら
れるとは限らない。小さな子が、料理する母親を見て、包丁をねだっても与えな
いし、又、配慮無く、高価な物を与えたりしない。調理出来る年齢に包丁を与え、
ふさわしい時期に高価な物を与える。親は、子供にとっての最善を考えて与える。

天の御父も同様だ。願った通りのものではなく、「良いもの」を与えて下さる。
「良いもの」だ。神は私たちよりも、私たちにとって、良いものをご存じだ。そ
のため、祈った結果、来たものをことごとく感謝することが祝福だ。神が下さる
ものは、常に「良いもの」、最善のものだからだ。

「求めなさい」には、「求め続けよ」の意味がある。すぐに答えが無いからと諦
めないで、祈り続けよう。忍耐持って祈る中で、心を探られ、動機を探られ、信
仰を探られ、神の御心にかなう祈りへと、祈りを軌道修正し、祈りを訓練して下
さる。

軌道修正された祈りを献げて行く時、御心にかなった祈りは100%叶えられる
ので、まだ見てはいないが、すでにその願いは叶えられた事になる。

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しばしば自分の思いと神のみ思いが違う。自分はこれが良いと思うが、主が下さ
るものは、遙かに良いものだ。ベストだ。自分の思いの中にいるなら、それが見
えずに不満と思い煩いばかりになる。自分視点から神視点に変えて待ち望もう。