2011年06月07日(火)

「その聞いたみことばも彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」ヘブル4:2


イスラエルの民は、約束の地カナンに入るために、エジプトを出たに関わらず、不信仰ゆえに40年間荒野をさまよった。そのあげく、カナンに入れずに、20歳以上の者達は皆、荒野で滅んでしまった。何のために、エジプトを出たのかわからない。ヨシュアとカレブと新世代だけが、約束の地に入った。

民達はエジプトでの災害の奇跡と紅海が真二つに分かれた、偉大な奇跡を見た。又、何も無い荒野で水が湧き、マナやうずらが降るを見た。雲の柱や様々な奇跡を見た。だが神を信じないで、カナンに入る事を拒んだ。それらの民達を教訓とするようにと私たちに警告されている。

彼らは神の言葉を聞いていた。乳の蜜の流れる地へ入れるという良き知らせを聞いていた。しかし、その聞いた言葉が「信仰によって」結びつけられなかった。カナンの強敵について聞いた時に、状況を信じて、敵の力を信じて、神を信じる事が出来なかった。せっかく苦難のエジプトから、神は脱出させて下さったのに、神への信仰がなく、不信仰のゆえに、荒野で死に絶えてしまった。

神の御声を聞いて従って行くことは厳粛な事だ。どっちでも良い、いい加減な事ではない。私達は御声をどう聞いているだろう。幾ら奇跡を見ても、神を信じようとしなければ、荒野の民と同じになってしまう。不信仰なら、自らの不信仰を認めて、神に助けを仰ごう。神は信仰を与えて下さる。
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ひとつの御言葉が心に深く入り従いたいという思いが与えられる。神様の御声を聞いたのだ。導きをいい加減にせず、その御言葉を大切に信仰を持って聞き、従えるよう祈っていこう。