2011年08月08日(月)

「神はこの民を葦の海に沿う荒野の道に回らせた」出エジプト13:18



出エジプトに際し、神は民に、約束の地に導く時に、近道であるペリシテ人の国には行かせず、「荒野の道」へ向かわせられた。「民が戦いを見て、心が変わりエジプトに引き返すといけない」からであり、そこに神のご配慮があった。長年の奴隷生活であり、戦いの訓練など全く無い民が、ペリシテや敵との戦いが恐怖で引き返してしまうだろう。

私たちの価値観の中に、楽な道、平らな道、問題の無い道を好み、近道、迅速、早く到達する事、順調が善との思いがないだろうか。しんどい事、困難な事は出来れば除けて通りたい。しかし、神は近道ではなく、あえて荒野の道を通される。
神が困難な道を通されるのだ。神に不可能はなく、今すぐに、願っているものを一気に与えて下されば良いのに、延々時間がかかり、まさに遠回りさせられていると感じる状況がある。自分の思いやプランと全く違う道を歩ませられる。しかし、そこを通ってこそ、忍耐や信仰が培われ、神のご愛や真実を経験する。明け渡す事ができて行く。そこを通らずしてあり得ない。

そして、その通り道には、雲の柱火の柱が伴い、行くべき道が示される。荒野での灼熱の太陽から、雲の柱で守られ、夜の暗闇を火の柱が照らした。道中決して「民の前から離れなかった」。今、荒野なら神を信じ、従って歩もう。雲の柱、火の柱によって、行く道を示し、片時も離れず導いて下さる。
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なぜ遠回りの道なのか、なぜこの道なのかと自分にはわからない事ばかりでも、それは神の特別な配慮とご計画の道を通っている。一歩一歩の歩みの中で必ずご自身を現して下さるから安心して歩もう。