2011年11月07日(月)

「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう」マタイ6:22


「からだのあかりは、あなたの目」とある。光は目から入る。それゆえ「あなたの目」が問題だ。心の目は、どこを見てるだろう。光であるお方、主に焦点を当てて、主をしっかりと見ているなら、それが健全な目であり、そうするなら、あなたの全身が明るく、輝いて行くと。

あなたの思考、判断、言動、プラン、それらが主に導かれて行き、輝く。そして、主の光の中で見る目は、見せかけでなく、見栄でない、本当の姿を見て行く。事実をありのままに見て、受け止めて行く。

逆に、その目が暗ければ、全身が暗い。光が無いということは、主を見ていないことだ。現実には光があるが、光なる主から目を離し、人を見、自分を見、状況を見ていると、暗い目になってしまう。人との比較から、羨望、妬みが出て来て、優越感と劣等感にさいなまれる。泥沼に落ち込んで行く。

自我の目で見て行くなら、自分の独断と偏見で人を見て、裁いて行くことになる。又、偏った目は物事を、正しく、事実を正確に見ることができない。自分の主観で、人を偏り見る。そこから誤ったそしり、悪意の疑りが生じ、平安無くし、自分が苦しくなる。

今、あなたの目は明るいだろうか。平安で喜びがあり信仰的見方か。もし暗い目で平安と喜びが無いなら、目を主に向けよう。御霊の光が射し、光があると見えるので、悔い改めが与えられる。全身が明るくなって行き、御霊の喜びが来る。
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状況に応じ光と闇に翻弄される世にあって、私達には信仰の目がある。どんな時も御霊の光のもとで受け止め、苦しい中でも主を見上げ平安と喜びの光を放てることはなんという幸いか。