2012年01月08日(日) 「だれでも、神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神か ら出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります」ヨハネ7:17
「だれでも、神のみこころを行なおうと願うなら、その人には、この教えが神か ら出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります」ヨハネ7:17
神のみこころを知るために、神の御声に耳を澄まして、御声を聞いて従って行く のが、信仰生活だ。しかし、神の御声が聞こえなくなる事がある。なぜ聞こえな いのか。そこに強い自分の思いがあり、自分の思いで一杯な時は、神の御声が聞 こえない。御声を自分が妨げてしまう。 今、神の御声が聞こえないなら、自分の強い思いが無いか、心探ってみよう。又、 神の御心がわかっても、自分のプランで、心が一杯な時は、神の御声に従えない。 私たちは、祈りの中で、自由に自分の気持ちを、主に告げるべきだ。詩編記者は 怒り、悲しみ、苦しみ、嘆き、何もかもを、気持ちを主にぶつけている。その中 で、導かれて行く。 又、心の願いを告げよと言われている。願いは神に告げるべきだ。それが御心と 一致するなら、叶えられる。しかし、すべてが叶えられるのではない。神はご自 身の思いを持たれていて、それが私たちの願いと一致するとは限らない。その時 は、自分の思いよりも遙かに高い神の思いがある事を受け入れて行く時だ。 主がゲッセマネで、「わたしの願いではなく、みこころのとおりに」と祈られ、 御心を受け入れて行かれたように。自分の思いを捨てて、神のみ思いに従うなら、 大きな祝福にあずかる。御心に、自分の計画を捨てて従う時、主ご自身を知って 行き、主との関係が深められて行く。 ・・・・・・・・・・・・・・ 私たちは自由に願って良いが、すべてが叶えられるのでなく、神の御心だけが成 る。どんなに強い願いでも成らない事を通して、自分の願いを主の御心に合わせ て行くことを学んで行く。そして、その御心が実は自分に最善であることを知る。