2012年02月06日(月)

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」詩編37:5


アダムがエデンの園で、罪を選んだ結果、私たちも原罪を持って生まれる事になった。その時のサタンの誘惑が「あなたが神のようになり・・」であり、神を捨てて、自分が神になるというものだった。自分で自分の人生を支配し、自分の思い通りに、好きなように生きて行く。

すべての人にその罪の根があり、クリスチャンも内側で、新しい人と古い人の葛藤が常にある。問題、悩みに出会わすと、心が重苦しく、辛いと感じる。それは悩みそれ自体が原因ではなく、自分で何とかしようとしているところにある。

どうにかしようとするが、どうにもならない。だから苦しい。問題は、それを、主に明け渡す事ができないことだ。主に委ねる事ができず、自分が握っている。それは自分がコントロールしたい、支配していたい。

私たちがイライラするのは、悶々とするのはどんな時だろう。目の前の事態が、物事が、相手が、自分の思い通りにならない時ではないだろうか。自分が事態を、相手を、支配しようとしているからだ。

思い通りにしようとする自分自身を主に明け渡し、事態を主に委ねる時に、平安を経験する。ギブアップし、委ねた時に、自分は平安になり、そして、不思議に全く動かなかった状況が、動いて行く事を見る。
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悩み思い煩う底には、思い通りの解決を望む自分がいる。神様の解決が痛いものであったらどうしよう、それが私のためであるとわかっていても、今はとても受け入れられないと悶々とする。その思いからまず祈りに持っていこう。