2012年03月08日(木)

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」マタイ6:34


私たちは、よく思い煩ってしまう。主は「明日のことを思い煩うな」と言われた。明日の計画、備えをするなと言われたのでなく「思い煩うな」と言われた。人は、自分の力量を越えた事に関して思い煩う。明日の事は、人間にはいっさいわからない。又、人は見えるものによって、安心を得ようとするので、目に見えない事について思い煩う。

しかし、主は「あすのことは、あすが心配する」と言われ、明日は、明日が心配するから、今日心配しなくてよいと。明日の事は自分の限度を越えていることだ。明日を思い煩うことで、今日を、今の貴重な時間をつぶしてしまう。今日なすべき事が行なえない。生き生きと、主を喜び、感謝し、主を証しするための今日を、暗い、沈んだ、平安と喜びのない一日にしてしまう。思い煩いほど、生きる力を奪うものはない。

「労苦はその日その日に十分あります」の通り、今日一日の御心があり、なすべき事がある。そして「今日」の分は負う事ができる。「今」の時を、精一杯生きるようにと。そのために、大切な事は、思い煩いを主に委ねることだ。ことごとく内にある感情も気持も主に聞いて頂こう。何もかも洗いざらい告げる時に、委ねることができる。「明日」を委ねて、「今」、主を信頼して、平安に歩むならどんなにいいだろう。
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まだ来ない明日を思い煩い、また明日になると明日を煩うなら永遠に神様から与えられた大切な今日を精一杯生きていない事になる。明日の事はお委ねし、与えられた今日を喜ぼう。