2012年04月07日(土) 「だから、彼らのまねをしてはいけません・・父なる神は、あなたがたがお願いす る先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」マタイ6:8
「だから、彼らのまねをしてはいけません・・父なる神は、あなたがたがお願いす る先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」マタイ6:8
パリサイ人たちは、会堂や通りの四つ角に立って祈った。しかし、それは「人に 見られたくて」自分がいかに敬虔であり、信仰深く、祈る者であるかを、人に見 せるための祈りだった。神を崇めるのではなく、自分を崇めるものだった。 「祈るときには、偽善者たちのようであってはならない」人に聞かせるために祈 るのは、肉であり、まさに偽善の祈りだ。自己顕示のために、祈りを人に聞かせ る事とは逆に、人前で祈る事に尻込みする事がある。 人を意識し、自分を意識するので、人前で祈る事は恥ずかしい。実は、これも同 じく肉から出たものだ。又、異邦人のように同じ言葉を繰り返すな、と言われた。 言葉数が多ければ良いとばかりに、何時間も同じ言葉を唱える。異教ではよくあ る事だ。これは根本的に違っていて、私たちと主とは、取引き関係でなく、信頼 関係で結ばれている間柄だ。 主は祈る前に、私たちの状況をすでにご存じだ。しかし、だから、祈らなくても よいのでなく、「だからこそ」祈れと言っておられる。主は求めに答えられるか らだ。すでに知っていて下さるからこそ、安心して求めることができる。 「自分の部屋に入り、戸をしめて」人ではなく、自分でもなく、神を意識して、 神に向き合う祈りだ。極みまで愛し慈しんで下さっている御父が、必ず答えて下 さると信頼して御前に行こう。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 主が、私が祈る前に、私の必要を知っていて下さるとは、何と嬉しいことだろう。 実は、本当に必要なものを自分でわかっていないかも知れない。しかし、愛して いて下さり、父である神は、祈りの中で最善へと導いて行って下さる。この信頼 の中で祈れることが幸いだ。