2012年07月08日(日)

「それはあなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたを幸せにするためで あった」申命記8:16



主がはっきりと、「あなたを苦しめ」「あなたを試み」ると言っておられる。ち
ょっと苦しい事が臨むと「なぜ?」「私にばかりで、人は皆幸せなのに」「神様
は不公平」と不平不満、つぶやきが出て来るが、試練によってでないと、得られ
ないものがある。

「苦しみに会う前には、私はあやまちを犯しました」、肉の性質は、頑固で強情
であり、相手を責め、人のせいにし、何と自分を正当化し、自らの非を認めない
者だろう。しかし、苦しみにより砕かれて、自分の無力を知り、自分の力に頼れ
ず神に追いやられる。

なすすべなく、神にしか頼れないところにまで追い込まれる。その時、初めて拠
り頼む事の意味を知る。涙の谷を過ぎる時も、そこが泉の湧く所となる。神に出
会う。

すべての人は試練に会う。思い通りに行かないから試練であるが、その時に、環
境や人のせいにし、愚痴と不満で苦しみに飲まれて行く事もできる。又、訓練、
鍛錬として受け止める事もできる。心を屈折させるのも、心素直にするのも、自
らの選択だ。

「心素直にできません」「飲み込まれそうです」とありのまま、祈って行こう。
「ついには、あなたを幸せにするため」、訓練として受け入れるなら、測り知れ
ない益を得る。御霊の実を結ぶ。その時は痛いが、後に「苦しみにあったことは、
私にとって幸せでした」と必ず言える。苦しみは私達を、神に近づけてくれる。

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今、試練の中なら、「ついには、あなたなを幸せにするため」「苦しみにあった
ことは幸せでした」と言えるように、して下さることを見つめていよう。今は苦
しく辛いが、幸せにし、必ず平安と喜びへと導かれる。希望がある。そこに立っ
ていよう。