2012年09月04日(火)

「たとい、主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」U列王7:19

人々が飢饉で、次々餓死する非常事態だった。食物が全く無い中で、エリシャが主から示され「明日、小麦や大麦が売られるようになる」と告げた。すると侍従が、「主が天に窓を開かれても、そんな事があり得ようか」と言った。その時エリシャは、あなたはそれを見るが、食べられないと預言した。

そんな時、サマリヤの門に四人のらい病人がいた。町は飢饉、どうせ自分達は死ぬ。同じ死ぬなら、敵の陣営へ入ってみようじゃないか、食料があるかも知れないと。敵の陣営では、神が大軍勢の騒ぎを聞かせ、襲撃に勘違いさせた。アラムは驚き恐れ、慌て、陣営を置き去りにし逃亡した。そこには、山ほどの金銀、溢れる食料があった。彼らは、王家に知らせた。

王は信じなかったが、偵察により事実を知った。すると、その時に大勢が殺到し、その侍従は踏みつけられ死んだ。預言通りになった。実際、溢れる食料を神は用意された。しかし、それを信じなければ、自分のものにはならない。溢れる食料が目の前にあるのに、飢えて死ぬ事になる。

私達はどうだろう。十字架の救い、神の愛、恵み、罪の赦し、義とされる事・・、溢れる恵みの中で、不信仰で餓死寸前ではないだろうか。自分で恵みを阻止する、自分の姿ではないか。すでに莫大な食料が目の前にある。信じようとしない、自分に気づく事から、祝福は始まる。
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壁の向こう側に主の溢れるばかりの恵みが備えられているのに、目に見える現実と自分の思いだけにどうしても捕らわれてしまう。私達も侍従長を決して笑えない。状況の中で神を信頼して、み言葉の約束を選んでいこう。