2012年12月08日(土)

「それで、戦車隊長たちは、彼がイスラエルの王ではないことを知 ったとき、彼を追うことをやめ・・ところが、ひとりの兵士が何げな く弓を放つと、イスラエルの王の胸当てと草摺の間を射抜いた」T 列王22:33



イスラエル王アハブは、ラモテ・ギルアデをアラムから取り返そう
と、ユダ王ヨシャパテを誘った。ヨシャパテはアハブの申し出に乗
り、主の言葉を聞くよう要請した。アハブが伺いを立てると、預言
者たちは、上って行くようにと口を揃えて言った。

しかし、ミカヤだけは正反対の預言をした。アハブが悪霊に惑わさ
れている事、殺される事を告げた。アハブとヨシャパテはアラムと
戦う事になり、アハブは巧く逃れようと、ヨシャパテに王の服を着
せ、自分は変装した。

敵をごまかし、ヨシャパテを狙わせ、自分は助かろうとした。しか
し、アラム王の命令は、アハブを狙えだった。敵は、ヨシャパテを
アハブと間違ったが、ヨシャパテが、主に助けを叫び求めた時、敵
は彼を追わずに引き返したのだ。神の関与だ。

そして兵士が、「何げなく」放った矢が、何とアハブに刺さり、彼
は死んだ。彼はアハブを殺そうと意図したのではない。アハブを狙
ったのではない。神の介入だった。ミカヤの預言が成就し、神の御
心が実現した。

人がどう知恵を巡らし、計略しようと、神の御心だけが成る。主を
差し置いて、自分の知恵や方策に頼っていないだろうか。主がご自
身の御心を成し遂げられるなら、人生も自分自身も、主に信頼し、
委ねることが最善ではないだろうか。

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「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成
る」。様々な思いがあるが、主の御心だけが成る。主権は主にある。
その大きな愛の主権に委ねるなら、逆に、深い安堵ではないだろう
か。