2013年04月07日(日)

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、大きな利益を受ける道で す」Tテモテ6:6



「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、愚かで、有害な多
くの欲に陥る」とある。富を得ても、幾ら得ても、決して満足する
事がない。飽くことなく、更に求める。これは富ではなく、「貪
欲」という肉の欲望に陥っているからだ。

必要が満たされても、決して満足する事がない。どこまでも富を渇
き求めて行く。「蛭にはふたりの娘がいて、『くれろ、くれろ』と
言う。飽くことを知らないものが、三つある。いや、四つあって
『もう十分だ』と言わない」。果てしなく「くれろ、くれろ」と言
い、欲望には際限がない。

「金持ちになりたがる」とは、富だけでなく、名誉、地位、人から
の賞賛、野心、人の上に立ちたいとの欲だ。ここに誘惑とわながあ
ると。いつも隣人のものを欲しがり、比較しては、満たされない心
で、絶えず欲求不満に陥る。しかし、主を見上げる時、どうだろう。

私たちは何一つ持たずに来て、何一つ持たずに去る。今、生かされ
ている事が感謝ではないだろうか。主は、何も、いっさい思い煩う
なと言われる、主の愛に囲まれ、必要は必ず備えられ、日々に生き
る喜びと平安が与えられている。満ち足りる心は、主からしか来な
い。

自分の欲望を満たすことが幸せだと思ってしまうが、そうではない。
決して満たされず、ますます渇くばかりだ。主に自分を明け渡して
行く時、御霊に満たされる。その時、真に心の満たしを経験する。

・・・・・・・・・・・
満ち足りる心とは、何と喜びだろう。「世が与えるのとは違う」
「わたしの平安」で満ち足らわせて下さる。状況にかかわらず満足
が与えられる。反対に貪欲は、どんなに持っても、決して足りる事
が無く、悲惨だ。