2013年06月06日(木)

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです」ヘブル11:6




ある人が、経済的苦境にあった。様々な支払いの必要があり、祈りに祈る中、支払い期日はどんどん迫る。しかし与えられない。尚も、祈り続けるが、与えられず、不安が募り、段々恐れとなって来る。どうすれば良いのか。更に祈るが与えられない。しかし、御言葉は「何も思い煩うな」「キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たす」と言う。だが不安でたまらない。焦りと思い煩いで一杯だ。心が落ち込んで行く。

そんな時、知人から電話があった。主から示されたので、献げものを振り込んだとの事だった。それは、すべての必要が満たされる額であった。与えられた事に大喜びし、心から感謝した。しかし、その時にふっと思った。知人からの送金は、すんなり信じている。微塵も疑わない。振り込まれたという言葉を信じきっている。まだ事実確認もしていないのに、大喜びしている。それに引き替え、主の言葉はどうだろう。

主は「思い煩うな」「満たす」と言われるに関わらず、どうしても信じられなかった。人の言葉は信じることができて、主の御言葉は信じられない。自分の不信仰を示され、悔い改めた。主は信仰を喜ばれる。まず、信じられないなら、「御言葉を信じられません」と、その事を主に正直に告げて、行こう。主が信仰を与えて下さる。
-----------
目に見える状況や環境に平安を見い出したいが、主の御約束にまだ見えていなくても必ず光がある。主は必ずよくして下さると与えられた御言葉に固く立ち、不安に押し流されないで信じていよう。