2013年08月08日(木)

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない」詩篇55:22


ダビデは、敵からの激しい攻撃、迫害があり、極度の苦しみの中にあった。「私は苦しんで、心にうめき、泣きわめいている」「死の恐怖が襲っている」「恐れとおののきが臨み、戦慄に包まれている」と告白し、窮地にいた。そして、更に辛い事態が臨んでいた。同輩、親友がダビデを裏切って、去ったのだ。どんなに沈痛の極みだったろう。死と隣り合わせの恐怖の上に、背信、孤独に襲われた。

しかし、すべての事態は「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ」の通り、主の御手の内にあり、主の目的と意図がある。この辛い試練を通り、ダビデは「あなたの重荷を主にゆだねよ」に行き着いた。「主が、心配して下さるから」と。私たちはどうだろう。一つの深刻な思い煩いが来ても、心は沈んで苦しくなり、真っ暗になってしまう。更に最悪のシナリオを描いて、冷静さも失ってしまい、四六時中、その悩みに捕らえられてしまう。

誰しも経験があるだろう。その解決法は「重荷を主にゆだねよ」ということになる。今、深刻な悩みを抱えているなら、主に委ねられないから、悩まされている事になる。「委ねることができない」が問題点なら、そのまま祈ろう。主が委ねられるように助けて下さる。結局、ダビデは大変な苦しみを通ったが、「主に委ねる」ということを学ばせられるためであった。あなたの今の苦しみも、そのためだろうか。
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簡単に委ねられることもあれば、委ねたと思う先から、また思い煩いが来るという心配事もある。「委ねられません」だ。主に祈りながら、主が用意して下さっている展開を期待して待てるよう、一時も早くあらゆる心配事を主にお渡し出来るようになりたい。