2013年12月08日(日)

「感謝のいけにえをささげる人は、わたしをあがめよう。その道を 正しくする人に、わたしは神の救いを見せよう」詩編50:23


「感謝」は、神へのいけにえであり、神が喜ばれるものだ。感謝を
献げる時、驚くべきみわざを見る。感謝は、砕かれたたましいが献
げる事ができる。感謝する事は、現状を認める事であり、受け入れ
る事だ。砕かれた人がそうできる。

反抗心があると、感謝ができない。事態を受け入れる事ができず、
不平不満、愚痴で一杯になる。感謝は、思い通りにならない状況に
も、神の主権と支配を認め、神からのものと受け止めて行く。無駄
なものは一つもなく、一つ一つに神のご計画があり、意図があるこ
とを信じる。そして、夜の後に必ず朝が来ること、暗黒のトンネル
は必ず出ること、神が必ず良くして下さることを信じて行く。

耐えられない試練は無く、脱出の道も備えられている。どんな時に
も希望がある。それゆえ感謝を献げる。見えるところが夜であり、
真っ暗であっても、神は良くして下さることを信じるので、感謝す
る。

ある人が、親の入院で日々付き添っていた時に、子供が急病で入院。
行く事すらままならなかった。そこに夫が疲れで倒れた。身動きも
取れない状態だ。しかし、その時に状況に落ち込むのでなく、天に
目を向け、感謝のいけにえを献げた。これらすべてが御手の中であ
ることを感謝した。

感謝する気分だから感謝するのでなく、信仰によって感謝のいけに
えを献げて行った。その時、大変な状況に関わらず、不思議に心に
平安が溢れ、口から賛美が出て来た。心が守られた。

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人は同時に二つのものを見ることができない。状況を見ていたら、
主を見ておらず、主を見ている時は状況を見ていない。意志をもっ
て感謝を献げる時、主を選択している。主に視点が向くと、発想が
変わり、御言葉に立って行ける。