2014年01月08日(水)

「するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮にはいり、礼拝をしてから、自分の家に帰った。そして・・食事をした」Uサムエル12:20



ダビデはバテシバとの姦淫の罪を犯した上に、更にウリヤ殺害の罪を犯し、罪に罪の上塗りをしてしまった。王であり、トップだ。何か言える者など誰もいない。ダビデはその罪を隠ぺいした。しかし、神が遣わされた預言者ナタンの指摘により、王であるにかかわらず、罪を認めて告白した。「私は・・罪を犯した」。主はその罪を赦された。

罪は完全に赦されるが、しかし、罪には刈り取りがあり、蒔いたものは刈り取る。「あなたに生まれた子は必ず死ぬ」。バテシバが産んだ子供が病気になった。ダビデは祈り、断食し、一晩中地に伏した。子供の癒しを祈りに祈った。しかし叶わず、その子供は死んでしまった。ダビデはそれを聞いた時、どうだったろう。わめき、怒り、呪い、嘆いたのでは無かった。何と、起きて身体を洗い、身に油を塗り着替え、宮へ入り礼拝した。御前にひれ伏し、御名を崇めた。

ダビデは切なる願いに、「ノー」であった時、それを受け入れた。願わなかったのでなく、気持ちをそのまま主に持って行き、願った。心底祈ったからこそ、主の御心が、自分の願いと違った時、それが受け入れられる事を教えられる。今、非常に厳しい状況にあるだろうか。気持ちをあるがまま受け止めて下さる主に、まず心の内を告げよう。苦しいなら、あるがまま打ち明けよう。その時、「イエス」であれ「ノー」であれ、主の御心を受け止めて行ける。
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叶わなかったのは神様からの答えと納得できるから悲しくとも不満はない。なぜだろう、どこが悪かったのだろうと理由を探す時は、神様に委ねきれずに、自分しか見えていない時だと覚えたい。