2014年03月07日(金)

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」詩篇37:5



ある人が、どうしても好きになれない相手がいた。どうしても受け入れられない。そんな相手に突如の苦しい状況が臨み、知り合いから祈りの要請が回って来た。しかし、祈れない。まず、その苦しい状況も、自業自得だと思ってしまう。そのように行動すれば、そういう結果を刈り取って当たり前じゃないかと、批判的になってしまう。自分の心の頑なさ、自我だとわかる。しかし、どうしても祈れず、悶々状態だった。

でも、神は祈れと言っておられるし、どうにもならず、あるがまま祈った。「主よ。祈れません。祈りたくありません。でも祈れと言われます。それで自分に出来る事として、祈れない自分自身を明け渡します。主が助けて導いて下さい」。自分を明け渡して、祈っていると、もし自分がその人と同じ背景を持ち、自分がその人の立場ならどうだろうと思った。自分なら絶対に無理、不可能、出来ないと思った。

その時、その人の置かれている状況の大変さが思われ、その人の苦しみに思いが至った。涙が出て仕方がなかった。そして、涙ながらに、その人の助けと祝福を心から祈っている自分がいた。それは自分ではなく、御霊だった。自分にどうにも出来ずに、しかし明け渡した時に、みわざをして下さった。自分で幾ら頑張っても、どれだけ頑張っても出来ない。人に出来ない事が、主にはできる。自分自身を主にお委ねしよう。主に頼ろう。主が成し遂げて下さる。
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主はゆだねよと言っておられるのに、なぜ孤軍奮闘しているのだろう。出来ない自分を知ることは大きな祝福だ。へりくだり主の恵みを信じ、確かな主の手に渡すことができる。