2014年04月06日(日)

「互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったよう に、あなたがたもそうしなさい」コロサイ3:13


私たちは、口では相手を「赦します」と言い、また実際、赦さなけ
ればと努力する。しかし実は、決して赦せるわけではなく、赦せな
い心を、憎しみや恨みを、心深くに押し込め、抑圧している。
そして、ふたをして無いものとしようとする。それは歪んだ、抑圧
された激しい怒りとなり、許容量オーバーになると、必ず爆発する。

そうなると相手を激しく攻撃して行く。又、反対に自分自身に向け、
自分を責めて苦しくなり、ひどい自己嫌悪に陥る。赦した「つも
り」や、赦した「振り」をして、又、もう考えない事にして、心の
引き出しに押し込み、自分をも欺いてしまってはならない。

自分には赦すことができないこと、どんなに頑張ってもできないこ
と、又、その底には、「赦せない」ではなく「赦したくない」、非
常に頑なな自我がある事を認めることが大切だ。

その場で、押し殺して我慢すると、自分では怒りを自制していると
勘違いしてしまうが、そうではない。単に押し込めているので、そ
こにずっとある。その証拠に、必ず後に爆発する。赦したくない自
らの罪を認めて、自分には出来ない事を主に言い表わし、助けを求
めよう。

主に明け渡して行く時に、主がみわざをして下さる。赦すことは、
自らの意志決定であり、選択だ。その時、不思議だが、御霊が働い
て、赦せるように助けて下さる。自分には決して出来ないことが、
主によって成し遂げられて行く。

・・・・・・・・・・・
赦すことは選択だが、祈って行く時に、選択もしたくない自分に行
き着く。その自分を受け止めて下さっている主に、赦したくない自
分を認め、あるがままを告げて行く時に、御霊の働きにあずかる。
頑なな自分が変えられ、御霊によって赦せる事を経験する。