2014年07月08日(火)

「・・心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21 


 
イスラエルは、主が乳と蜜の地カナンに導くと約束して下さったの
に、入る事が出来なかった。不信仰のゆえだった。導き入れるとの、
主の言葉を聞きながら、心を頑なにした。「もし御声を聞くなら
ば・・心を頑なにしてはならない」のように、御声を聞くなら信仰
もって、受け入れる必要がある。もし語られた御言葉を無視し、な
いがしろにしているなら、自分の心が固くなり、ますます頑なにな
って行く。

私たちはどのように聞いているだろう。主が御言葉を語られた時も、
聞く人の心は様々であった。素直に受け入れる人、単なる好奇心だ
けの人、反抗的な人、傍観者として聞き流す人・・。又、石地のよ
うに、喜んで聞くが、自我にぶつかると、御言葉を捨て、自分の思
いのほうを通して行くだろうか。そんな心が耕される必要がある。
頑なな心でも、砕かれる時、素直にされる。砕きは祝福だ。御声を
聞く時、主の言葉を、その通りにそのまま受け止め、信じて行く事
が信仰だ。

この世は、目に見えるもの、手でつかむ事のできるものを確かなも
のとする。私たちは、目に見えないが、御言葉を真実なもの、確か
なものとする。そして、その語られた御言葉を、行なってゆくこと
が大切だ。実行して行く時に、初めて御言葉が身につき、そして豊
かな実を結んで行く。私たちはどうだろう。ただ聞いて通り過ぎて
いるだけだろうか。受け止め方を振り返ってみよう。
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御言葉を信じ従って行くなかで自分には見えなかった現実や主の御
心が悟れるようになってくる。自分の価値観で御言葉をより分ける
てしまいがちだが、固い心は耕されないまま残る。御言葉を素直に
受け入れ従って行こう。