2014年09月07日(日) 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があな たがたのことを心配してくださるからです」Tペテロ5:7
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があな たがたのことを心配してくださるからです」Tペテロ5:7
主は「何も思い煩うな」と、言って下さっている。「何も」いっさ い、思い煩わなくてよいと。何という平安であり、有難いことだろ う。しかし、どうだろう。主の言葉にかかわらず、思い煩ってしま うのが現状だろうか。思い煩いはどこから来るのか。それは、目の 前の問題は自分で対処できる、自分がしなくてはならないと思って いるところから来る。 そのため、自分の肩に、何もかもがかかって来るので、重く、苦し い。思い通りに事態が進まないと、思い煩うことになる。そして、 思い煩っている時は、神が飛んでいる。神無しの心の状態になって いる。すべて自分が何とかしなければならないので、心は非常に苦 しい。 その思い煩いをどうすればよいのか。「あなたがたの思い煩いを、 いっさい神にゆだねなさい」。一つ一つ神に渡してしまいなさいと。 その前節に「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさ い」とある。「神の力強い御手」、自分自身が思い煩っている時は どうだろう。 力強い神の御手が全く見えていない、認めていない。どんな時も変 わる事なく、神の力強い御手があり、守られている。へりくだると は、目の前の状況に神を認めることだ、そして神に拠り頼んで行く こと。御手を認めないことは高ぶっていることになる。問題は、ゆ だねられないところにあるなら、その事をまずそのまま告げて、祈 ろう。平安へと手を取って助け導いて下さる。 ・・・・・・・・・・・・・ 何も思い煩わなくてよいとは、何ということだろう。「はい」と、 力強い神の御手に、一つ一つの不安を渡せるように祈ろう。「は い」でなく、「いいえ」と主に思い煩いを委ねない自分に、気づく ことから祝福が始まる。