2014年12月07日(日)

「・・『青年よ。あなたに言う、起きなさい。』と言われた。すると、 その死人が起き上がって、ものを言い始めたので、イエスは彼を母 親に返された」ルカ7:14 



やもめである母親の一人息子が、死んで、かつぎ出されるところに、
主は遭遇された。やもめの上に、一人息子を失うとは、母親はどん
底の悲しみ、絶望であったろう。死だけは、目の前に容赦なく立ち
はだかり、後戻りも、回復も不可能だ。すべてが断ち切られ、何も
かもが打ち砕かれてしまった状況だ。

当時のやもめは、社会的に厳しい状況にあり、唯一頼りであった息
子、そして生き甲斐であった息子を失うとは。心引き裂かれる、は
らわた裂かれる思いだったろう。生きる望み、支えが無くなってし
まった。泣き続けていた。そこに、主が「泣かなくてもよい」と御
声をかけられた。

「かわいそうに思い」「深い同情をよせられ」「憐れまれ」とあり、
強烈な同情だ。腹の底からの憐れみが湧き出で、溢れ出て、主は青
年をいやされた。母親から頼まれてではなく、一方的に主の溢れ出
る憐れみによってであった。「青年よ。起きなさい」の言葉で、青
年は生き返った。

主は口先でなく、「深い同情」と共に「力」を持っておられる。
「泣かなくてもよい」はその通りに実現し成就した。同じ主が、今、
悲しみのどん底に、絶望にある私たちに、腹の底からの同情を寄せ
ていて下さる。そして、主の御口から出る言葉は、私たちの心に奇
跡を起こし、揺るぎない「平安」をもたらす。

「彼を母親に返された」取り返し不能、完全に失ってしまった状況
に、決定的解決を与えられた。この同じ主が、今、あなたの目の前
におられる。

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「彼に信頼する者は、決して失望させられることがない」。主に絶
望は無い。どんな時にも希望があり、御心とご計画がある。常に深
い同情を寄せて下さっている主が、今日も共におられる。