2015年03月08日(日) 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」ロー マ12:15
「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」ロー マ12:15
「『作り笑い』はできるが、『作り喜び』はできない」と有名な言 葉がある。笑顔は作れるが、喜びは自分で作り出すことはできない。 喜びがある振りをしても、心に喜びがあるか、無いかは、自分がよ く知っている。ある人が、友人と受験して、友人は合格、自分は不 合格だった。落胆で、落ち込み、心は真っ暗だった。 しばらくは起き上がる力も無かった。そして、どうしても友人の合 格を喜べなかった。羨ましくてたまらず、辛いものがあった。しか し心に平安は無い。自分はクリスチャンで、このままで良いわけは ない。そこでありのまま、「主よ、いっしょに喜べません。助けて 下さい」と祈った。正直な祈りだった。 その時、不思議だったが、感情は伴わなかったが、お祝いだけは言 おうと思えた。心が変えられた。「おめでとう。良かったね」と伝 えた時、相手がとても驚いて喜んでくれた。特別に嬉しかったと言 ってくれた。証しになったようだった。すると自分の心も平安にさ れた。 ある人は、長い療養中、後から来た人が、先に退院して行くのを見 る。喜んであげないといけないのに、本音は決して喜べなかった。 妬ましくて仕方が無かった。自分の心の狭さが情けない。「喜べま せん。羨ましいです。助けて下さい」と主に助けてを求めて祈り続 けた時、主は善い方、必ず自分にも善くして下さると思えた。 すると不思議に心が落ち着いて来た。そしてその人も後に退院が与 えられた。まず「喜べません」と主に向かおう。上から助けが来る。 ・・・・・・・・・・・・ 生まれつきの性質は、自己中心なので、なかなか人の幸は喜ぶこと ができない。羨ましくてたまらない。しかし、御霊によるなら可能 だ。あるがままを祈り、主に求める時、御霊によって心が変えられ る事を経験して行く。