2015年05月08日(金) 「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりして いるのは、知恵のないことなのです」Uコリント10:12
「しかし、彼らが自分たちの間で自分を量ったり、比較したりして いるのは、知恵のないことなのです」Uコリント10:12
フィギュアの競技で、時々、選手がヘッドホンをして、出番を待つ 光景が映る。人の出来を気にして心を乱されないためだ。様々な思 惑が入り、自分の演技に集中できないと、せっかくの実力が発揮で きない。そのため、ヘッドホンでシャットアウトする。 私たちの信仰人生もどうだろう。ある人が、御霊の気づきを与えら れたと証しした。人がほめられると、自分がけなされたように感じ、 落ち込んでしまう。何も自分は、けなされていないのに、自分はだ めのように感じてしまう。そして人からの賞賛を受けると、嬉しい のだが、それは御霊の喜びでなく、優越感の喜びであって、肉の喜 びだったと。 そんな人生なら、まるでシーソーだ。他人が上がれば自分が下がり、 自分が上がれば、他人を見下す。どこまでも人が基準で、人により 自分がアップダウンする。自分は何も変わらないのに。こんなにお かしな事はない。すべてが比較から来ている。「自分たちの間で自 分を量る」ことから来ると。知恵のないことだと言っている。 まず人の間で自分を量っている事に気づき、ありのままを祈って行 こう。人が気になり、人を見ている目を、主に向け、御言葉に向け て行こう。「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光の ために、わたしがこれを創造した」と言われる。 主は最愛の愛で、私たちを極みまで愛していて下さり、高価で尊い と言われ、主の栄光のために、私たちを創造されたと。何と畏れ多 いことだろう。人と比較してしまう目を、絶えずこの主に転じよう。 ・・・・・・・・・・・・ 人と比べている時は、目の前におられる、一番大切な主をないがし ろにしている。大事な主から目を離し、主以外のものばかりに目が 行っている。その度に気づかされ、主を見上げられるように、祈っ ていよう。